からの続き)

 義雄がどうやら、無事医学部を卒業したことは、後に風の便りで聞いていた。

 私は、限りなく魅力に満ちた図書館という場の住人になるために、再び学生生活に戻り、新しい仲間と共に、たとえ食うや食わずの朝夕であったとしても、かけがえのない友だちとともに、まだ戦争の後遺症が多大だった図書館の再構築に向けて、また文化の再生に向けて熱い議論を交わす日々の中に身をおいていた。
 敗れ帽子に、結び目が今にも解けてしまいそうな風呂敷に、書物を詰め込んだ議論好きの学生というか書生風の男たち、下駄履きのまま一癖も二癖もありそうな強者たちと共に学び直した2年間になる。上野図書館のある一帯は、当時はまさに暗闇の森のなかであった。
 日本の文化再生、貴重な資料の保存、さまざまな読書活動の展開など、行方未だ定かならずの時が、それでも熱い心を胸に抱いた若者たち、そうそうたる教授たちによる文化財の保存収集、図書館活動再生の日々が、それから続くことになる。
 それらの再構築のために、東京上野の森から全国に散っていった仲間たちが、どんなに時を経たとしてもいつまでも恋しく懐かしい。

 義雄から電話が入ったのは、彼が無事所定の単位を修了し、すでに一人前の医者として、さらに独立して委員を開業しているという、嬉しいような、でもあの遊び人風の義雄が?という疑問符が残る報告であった。
「出て来いよ。君の仕事場の近くに病院を開いている。
君が私を放り出してから、それなりの時間が経った。
結婚もした。ともかく逢いたい。人間の寿命なんてたかが知れているんだ」
相変わらず、ぶっきらぼうな話をする芳雄からの電話であった。
 私は、別に義雄を放り出した覚えはない。それぞれの立場があって、過ぎた若い日に義雄の幾度かの誘いに応じる勇気がなかっただけだ。心の中の何処かに、「あのやんちゃの君は如何お過ごしであろうか」の思いは、いつもあった。

 約束の時間に指定された場で、義雄との20年ぶりの再会は、果たされた。
「赤坂のホテルを予約してある。そこに今から行く。逃げるなよ」
「逃げはしないわよ。お供しましょう。いつかそうなると思っていたから」
「遅いよ、君は。俺は、最初に君に出会った時から、いつかはと決めていたのだ」

 義雄は、私を「現世」というこの世界に置いて、早々と別世界の住人になった。
彼の魂は今どこを彷徨っているのだろう。
「もしもし、今日、出て来いよ。いつものところで待っている」
そんな呼び声を、今でも聞くことがある。
義雄のベンツが、私を拾うために停まっていた駅前。
少し照れくさげに、車の中で、手をあげて私を招いた春夏秋冬。それぞれの季節。義雄が私を呼ぶ声が、その駅に降り立つと聞こえてくる。

 人との出会いと別れの不思議な景色は、後の時間を生きる者に限りない慕情を残す。もしかしたら、義雄の妻になって、人生という旅を、今でも共に歩いていたに相違ない。
いつどこで、そのボタンを掛け違えたのだろう。
 一人後に残された私は、都会の人混みの中を歩きながら、留まることを知らない時間の中身に「それはないでしょう」と語りかけていたのだろう。
通りすがった、冴えない見も知らない一人の男に「おい、邪魔なんだ」と肩を押されて、ふと現実の世界に立ち返る。

 義雄がにやりとして、そんな私の肩を抱いて、
「おい。お前らしくないぞ。
だから、あの時、俺が言ったじゃないか。
お前を抱きながら、お前の耳元で。
アメリカにいる親元に帰る日が近い。一緒に帰ろう。
そのつもりで俺は、この街にいて、ややこしい授業に出ているんだ。
まあ、お前がいたから医者になれたようなもんだ」と。

見た目にどこか無頼の雰囲気が私にはあったが、思いの外、現実を見ていた私。
親や妹を置いて、どこか風来坊の趣を持つ義雄について行く勇気がなかった私の良識。
義雄は、日本で生き、日本にて人生半ばの時間で、別世界に一人旅だった。

(完)