幼い時の絵本との出会いから、いつの間にか、随分の時が過ぎている。
「書物」と「書物を巡る」多くの人との出会いの日々。そうして、戦前・戦後の変化激しいさまざまな社会の出来事を背景に、その中のどこかに私がいて、今でも心を揺さぶるから、88歳の今日の朝夕も、心落ち着かず「何かを探して」の果てしない旅が続き、今という時間を生かされている。

 そろそろ、私を今日まで生かしてくれた人との出会い、本との出会い他、私なりに記録したものを整理しておこうと作業を始めたが一向に進まない。
 情報の伝達方式・印刷作業の技術も大きく進歩し、記録類もコンパクトで小さなメモリに収められるようになった。機器の進歩は著しく便利性にも格段の進歩があるが、その反面、また新しい課題も多々だと思う。

 私の手元に、慶応時代に生まれ、明治・大正・昭和という時代を生きた祖父の勉学の記録が数十冊残されている。和紙に細い筆の墨字で書き記された和綴じ冊子を開くたびに、当時の様々な景色が目に浮かぶ。機器の進歩は本当に目覚ましいが、最近の情報社会の行く末は、真摯に人の心を育ててくれるのだろうかと、思いまどうこの頃である。

 嬉しいことがあった。戦後まもなく、育児書の数が少なかった時代に、医師でいらした松田道雄先生が書かれた育児へのエールである岩波新書『私は赤ちゃん』があるが、その松田先生お住まいの京都まで臆面もなく出かけて、私が最初に書いた本への献辞を戴いたことがある。それをご縁にお手紙の交換が続いた。
 2年前の初夏、身辺の本を整理していて、松田先生が後年書かれた著書『安楽に死にたい』(岩波書店)がまるで新刊のような装いで出てきた。墨跡瑞々しい幾葉かのお葉書とともに。

安楽に死にたい
松田 道雄
岩波書店
1997-04-24


 この本を書かれた時の松田先生の年齢が87歳。それを身近な問題として考える私も何時しかその年齢に。この偶然に、松田先生との浅からぬご縁の関わりに、身が震えた。

 今しばし、老人ボケにならないよう、心に活力が得られる本を探しての旅をと考慮中。
 この文を読まれている皆さんも心の糧になる読書の日々を大切に。今後とも読む楽しみの旅を継続されんことを願います。

 すっかり変貌した読書アドバイザー養成講座の現状に、時代の流れがあるとしても、読み、心の豊かさを育てるための知恵を育てる人もいなければ、国の力は減少する。それを学ぶための介添え役としての氏名まで捨てるなら、講座名称を変えるべき、と。