最近とみに記憶力が失われてきた。生きてきた時間の長さは、それ相応に人間としての感性豊かな、好奇心旺盛な季節から次第に遠ざかることの証拠であり、それをとみに感じて、憮然とする日々が続いている。そう、もう、私は88歳の秋の季節の住人なのだ。

 幼い時から好奇心旺盛であり、絵本に始まる季節から比較的恵まれてきた。
それらの要因が、少女期から大人になるべき好奇心いやます季節に続き、88歳の今でも片時も書物を離さず抱いていることになる。夜を徹して「本読み」の習慣を今でも継続中である。
 そうして、私は、急激に移り変わりして今に至った「昭和時代」の申し子であり、また各種情報が瞬時に、日本国のみならず世界規模で届けられる今日の社会環境の生き証人だと自負している。

 欧米の新しい社会変化の波が押し寄せてきた明治時代の祖父母。
和紙に細手の筆で勉学の跡の記録数十冊を残していた祖父。世界に向けて大きく目を開き、西欧諸国に追いつけ追い越せの社会にあって、祖父たちの日々の生活は、明治という新時代に向けて、その人生への対応は、大きな変革をもたらした。
 「徳育を第一にした明治の家庭」の全てが書き残された一冊の記録。早逝した我が子への深い愛。また、一人別世界に旅立つ少年の健気な心映えに、涙する私である。

 ―死に赴く10歳の少年が残した記録・対話から―
 少年の日々の記録・行動・心映え・学習記録・祖父が愛する我が子を、病魔のためとはいえ先立つ子への親の悲しみは深い。
 我が子の在りし日への様々な思い、少年が記録した数々の勉学記録、親に先立つ不幸を詫びる健気な心根の少年。曾祖母・父母・兄弟・友人たちへの限りない感謝の思いが記録された一冊のノート。
 少年が抱いた来るべき新しい日本国社会への夢や希望、および感謝の思いを記録したノート。少年の死を惜しむ祖父たちの悲しみ。その冊子は、私の手元に明治・大正・昭和という時代を経て、平成の今も長い年月を経て残されているが、最近私はそのノートを開き読むことが多くなった。そうして、私の叔父にあたる三郎少年似合いたいという思いがこのところ深い。
 可能なら、世界に窓を開いた明治という時代の家族間の愛の姿、当時の未来を拓く児童たちの勉学や希望などを、是非書き世に残したいという思いでいる。

 最近、家庭や学校の環境が大きく変化し、優しく思いやり溢れた人間関係が失われてきた。物質的な、即物的な思考が優先し、人の心が荒れ気味である。それらの風潮には何らかの、人が人としてのあるべき姿、優しさの心映え豊かな環境の再生が必要である。その点から、「少年三郎の短い生の時間と、死を迎える愛と強さに満ちた物語」として夜に出すべく、長年私が胸に抱いてきた物語として仕上げたい。