何処を終の住居にすべきかと、今もひたすら、あれこれ思いをこらしながら、今日という日を生きている私。
それを考えることが生きがいの愚か者の私。
果たして、何時まで暮らしを維持できるのが可能なのか。健康も財力も極めて心もとない現状を知るものは「物好きもいい加減にして身の程をわきまえた慎ましい生活を営むことに意識を変えなければ、沈没は目に見えているのに」と言う。
「神のみぞ知る」私に残された時間は果たして幾許のものだろうか。予測がつかないから人は明日を夢みて生きられるのだと思う。
日々、私を揺らす心模様のさまざまな景色の原点は、私が生まれ育った幼い日々。物心がつき始めた頃から多感な少女期を彩った景色。未知の出来事に対する期待感であった。
さらに、人の運命は、多感な季節に着地した思いもかけない環境は、私を更なる見果てぬ夢へ誘う旅を促すことになった。老骨の身にもなってなお、私自身の安住の地を求める旅への誘いはいや増す。人は、それを愚か者の象徴だと言って笑う。
幾つもの挫折の中での絶望感が深くなるばかりのこの頃だが、心に体に染み付いた「美しきもの」に対する憧憬、身辺を彩る「豊かさ」への感覚は、さらに研ぎ澄まされて、限りない流離いへの旅へ私を誘う。何時果てるともしれない旅に。
今や遠い日になった日本国の穏やかで温かい人間関係。美しい心映えを追い求めて生きた日々。それらを書き残した、今や赤茶けた紙に記された数々の物語が、絶えず私に語りかける。あなたの旅はまだ始まったばかりなのだと。
縁あって100年近くを経て私の手元に届けられた数十冊の和紙に筆で記された祖父の記録。曽祖父たちの時代・祖父たちの時代・父母たちの時代の物語の数々。
それらを読み直しながら、日本国の美しきものの多くが姿を消しつつあるのを実感している。その記録の数々は、今日から明日へと命を繋ぐなかで、自らの生きざまの原風景も含めて、過ぎた日々の姿を生き生きと、まるで昨日の出来事のように記憶の中に刻んでいる。
私の手元に100年を経て、廻り廻って辿り着いた和紙の筆で記された数十冊のノートが届いた日には、身が震え涙した。
そうして、私の記憶に残る昭和史の、日本国が辿った日々の生活を書き継いでおかなければ、という思いが私の胸を熱くした。
その物語を語る旅に出発しなければと、残された私の時間も残り少なくなっていることに改めて気付かされた。たとえ、拙い言葉不足の物語であったとしても。
それを考えることが生きがいの愚か者の私。
果たして、何時まで暮らしを維持できるのが可能なのか。健康も財力も極めて心もとない現状を知るものは「物好きもいい加減にして身の程をわきまえた慎ましい生活を営むことに意識を変えなければ、沈没は目に見えているのに」と言う。
「神のみぞ知る」私に残された時間は果たして幾許のものだろうか。予測がつかないから人は明日を夢みて生きられるのだと思う。
日々、私を揺らす心模様のさまざまな景色の原点は、私が生まれ育った幼い日々。物心がつき始めた頃から多感な少女期を彩った景色。未知の出来事に対する期待感であった。
さらに、人の運命は、多感な季節に着地した思いもかけない環境は、私を更なる見果てぬ夢へ誘う旅を促すことになった。老骨の身にもなってなお、私自身の安住の地を求める旅への誘いはいや増す。人は、それを愚か者の象徴だと言って笑う。
幾つもの挫折の中での絶望感が深くなるばかりのこの頃だが、心に体に染み付いた「美しきもの」に対する憧憬、身辺を彩る「豊かさ」への感覚は、さらに研ぎ澄まされて、限りない流離いへの旅へ私を誘う。何時果てるともしれない旅に。
今や遠い日になった日本国の穏やかで温かい人間関係。美しい心映えを追い求めて生きた日々。それらを書き残した、今や赤茶けた紙に記された数々の物語が、絶えず私に語りかける。あなたの旅はまだ始まったばかりなのだと。
縁あって100年近くを経て私の手元に届けられた数十冊の和紙に筆で記された祖父の記録。曽祖父たちの時代・祖父たちの時代・父母たちの時代の物語の数々。
それらを読み直しながら、日本国の美しきものの多くが姿を消しつつあるのを実感している。その記録の数々は、今日から明日へと命を繋ぐなかで、自らの生きざまの原風景も含めて、過ぎた日々の姿を生き生きと、まるで昨日の出来事のように記憶の中に刻んでいる。
私の手元に100年を経て、廻り廻って辿り着いた和紙の筆で記された数十冊のノートが届いた日には、身が震え涙した。
そうして、私の記憶に残る昭和史の、日本国が辿った日々の生活を書き継いでおかなければ、という思いが私の胸を熱くした。
その物語を語る旅に出発しなければと、残された私の時間も残り少なくなっていることに改めて気付かされた。たとえ、拙い言葉不足の物語であったとしても。